2017年10月29日
青森県初遠出(後編)
新青森駅ロータリーから出るシャトルバスに乗り込み10分ばかし経過して三内丸山遺跡に到着した。途中車窓からとある民家庭のビャクシン類ぽい庭木の枝が陽炎みたいにユラッと伸びている様がねぷたっぽく感じて1人クスッと笑い。
遺跡についてからもよおしたら困る、とトイレに行ってから黄色の救命道具みたいなベストを着たボランティアの方のガイドについて行く。
遺跡内のミニチュア模型のあるスペースから遺跡に入った。
踏み固められた散歩道みたいな道は5000年前の三内丸山遺跡時代にもメインストリートだったと説明に、昔の人もここを歩いてたんだ、と。
何でも 三内丸山遺跡が発掘されたのは 球場を作ろうと掘ったら「出てきてしまい」球場建設は無しになってしまったんだとか。
球場建設待ち詫びていた人には気の毒だが(笑)。野球、興味無いもん。
遺跡内には復元だけれど当時はこんな建物、住居だったんじゃないかという俗に言う、竪穴式建造物や高足式建造物が東南アジアのそれを参考にして建てられていた。
GW中といえど小学生は休みでなく、屋外授業らしく復元縦穴式家屋に入って学習?していた。
もう卒業してるかもしれないけど 復元家屋作るのに小学生が活躍したらしく、名前書き連ねたプレートが復元家屋内に設置されていた。
ガイドさんの説明だと三内丸山遺跡内には集団墓地もあったそうで人骨が出ない。
じゃあ何でお墓だとわかるのか?と思ったら 人体から出る油でお墓だったんじゃないかと。土が酸性だとの話だった。
その反面、北側のゴミ捨て場を発掘したら当時の人が食べて捨てた魚や小動物(ムササビ←小さくて身があるの?)の骨が出てきたりしたから当時は木の実や魚や肉も食べたグルメ生活を垣間見えた。


ゴミ捨て場近くの集会所的広い建物は実に広くて、当時の人はよくこんな広いのを作ったな、と思ってしまった。

でもヤッパ、圧巻はこの使途不明の 一見物見櫓みたいな建造物だろう。
ロシアの昨年冬季オリンピック開催したシチから木材を使って建造したそうで、柱周囲は2mあるんじゃないか?と思う太さ。
右手の雑木林を見て、今と昔は気候違うから植生分布が違う、今の日本にはこの太さの木材が無いという。
5000年前の人は何処からこんな太い木を切り出して運び、それを立ててこんな高層建造物を立てたんだろう⁇。
TV取材で杏が来たけど高くて怖いと話してたそう。
重機も無い時代 もしかして超能力で木を浮かせて運ぶとかしたのかも?。
約1時間のボランティアガイドさんの説明が上手くて楽しく見学出来、時間経過が早く感じた。
遺跡内を見た後施設内のビデオを鑑賞。
ボランティアガイドさんが、北海道と青森県の数カ所で黒曜石が採取出来るのを受けてユネスコ登録を目指して広報活動をしてると話していた。北海道で黒曜石が出ると、英名オプシティアンだと数ヶ月前に知ったが そんな広範囲に出るとは知らず。日本海潮流に運ばれて各地の黒曜石が三内丸山遺跡に来た、のナレーション(聞いたことある声だなぁ、石丸謙三郎とかゆう俳優さんの様な?。青森県出身?。)に、我が長野県の和田峠産黒曜石も
‼︎と読み上げられるのを待ち構え、読み上げられたら心の中でヨッシャー‼︎とガッツポーズ(笑)。
ビデオを鑑賞の後発掘した展示物を見て回ったが お目当ての糸魚川翡翠はー
緑色じゃない〜‼︎
白いぞ‼︎Σ(-᷅_-᷄๑)
何で糸魚川翡翠だと分かるの⁉︎
詐欺だ〜‼︎と言いたくなった。
緑色翡翠なら、ガラスケース越しに張り付く様に眺めて熱視線(変態だ)送りたかったのに‥(TT)。
代わりに?黒曜石は沢山あった。硬い石で叩くと割れて加工しやすかったんだろうが、一つ美学にこだわりがあった人がいたのか、細かく叩いて微妙に角度を付けた、さながら工芸品みたいな矢じりが目に付いた。
移動時間がかかり、青森県内にとどまる時間は3時間余りしかなかった日帰り三内丸山遺跡見学(笑)、帰りのシャトルバスに乗り込んだら混んでてギュウギュウ。
復路のはやぶさに乗り込んでから ハッ!と気づいた。
はやぶさ乗る前にホームから荒木山写真撮るの忘れてた!と思い出したが既に遅い。
往路、はやぶさ内で岩合光昭さんの津軽ネコ本を読んでて、地元の〇〇富士とは違うけど 荒木山も又綺麗だなと思い、高い場所から遠景を撮りたかった。

遺跡についてからもよおしたら困る、とトイレに行ってから黄色の救命道具みたいなベストを着たボランティアの方のガイドについて行く。
遺跡内のミニチュア模型のあるスペースから遺跡に入った。
踏み固められた散歩道みたいな道は5000年前の三内丸山遺跡時代にもメインストリートだったと説明に、昔の人もここを歩いてたんだ、と。
何でも 三内丸山遺跡が発掘されたのは 球場を作ろうと掘ったら「出てきてしまい」球場建設は無しになってしまったんだとか。
球場建設待ち詫びていた人には気の毒だが(笑)。野球、興味無いもん。
遺跡内には復元だけれど当時はこんな建物、住居だったんじゃないかという俗に言う、竪穴式建造物や高足式建造物が東南アジアのそれを参考にして建てられていた。
GW中といえど小学生は休みでなく、屋外授業らしく復元縦穴式家屋に入って学習?していた。
もう卒業してるかもしれないけど 復元家屋作るのに小学生が活躍したらしく、名前書き連ねたプレートが復元家屋内に設置されていた。
ガイドさんの説明だと三内丸山遺跡内には集団墓地もあったそうで人骨が出ない。
じゃあ何でお墓だとわかるのか?と思ったら 人体から出る油でお墓だったんじゃないかと。土が酸性だとの話だった。
その反面、北側のゴミ捨て場を発掘したら当時の人が食べて捨てた魚や小動物(ムササビ←小さくて身があるの?)の骨が出てきたりしたから当時は木の実や魚や肉も食べたグルメ生活を垣間見えた。


ゴミ捨て場近くの集会所的広い建物は実に広くて、当時の人はよくこんな広いのを作ったな、と思ってしまった。

でもヤッパ、圧巻はこの使途不明の 一見物見櫓みたいな建造物だろう。
ロシアの昨年冬季オリンピック開催したシチから木材を使って建造したそうで、柱周囲は2mあるんじゃないか?と思う太さ。
右手の雑木林を見て、今と昔は気候違うから植生分布が違う、今の日本にはこの太さの木材が無いという。
5000年前の人は何処からこんな太い木を切り出して運び、それを立ててこんな高層建造物を立てたんだろう⁇。
TV取材で杏が来たけど高くて怖いと話してたそう。
重機も無い時代 もしかして超能力で木を浮かせて運ぶとかしたのかも?。
約1時間のボランティアガイドさんの説明が上手くて楽しく見学出来、時間経過が早く感じた。
遺跡内を見た後施設内のビデオを鑑賞。
ボランティアガイドさんが、北海道と青森県の数カ所で黒曜石が採取出来るのを受けてユネスコ登録を目指して広報活動をしてると話していた。北海道で黒曜石が出ると、英名オプシティアンだと数ヶ月前に知ったが そんな広範囲に出るとは知らず。日本海潮流に運ばれて各地の黒曜石が三内丸山遺跡に来た、のナレーション(聞いたことある声だなぁ、石丸謙三郎とかゆう俳優さんの様な?。青森県出身?。)に、我が長野県の和田峠産黒曜石も
‼︎と読み上げられるのを待ち構え、読み上げられたら心の中でヨッシャー‼︎とガッツポーズ(笑)。
ビデオを鑑賞の後発掘した展示物を見て回ったが お目当ての糸魚川翡翠はー
緑色じゃない〜‼︎
白いぞ‼︎Σ(-᷅_-᷄๑)
何で糸魚川翡翠だと分かるの⁉︎
詐欺だ〜‼︎と言いたくなった。
緑色翡翠なら、ガラスケース越しに張り付く様に眺めて熱視線(変態だ)送りたかったのに‥(TT)。
代わりに?黒曜石は沢山あった。硬い石で叩くと割れて加工しやすかったんだろうが、一つ美学にこだわりがあった人がいたのか、細かく叩いて微妙に角度を付けた、さながら工芸品みたいな矢じりが目に付いた。
移動時間がかかり、青森県内にとどまる時間は3時間余りしかなかった日帰り三内丸山遺跡見学(笑)、帰りのシャトルバスに乗り込んだら混んでてギュウギュウ。
復路のはやぶさに乗り込んでから ハッ!と気づいた。
はやぶさ乗る前にホームから荒木山写真撮るの忘れてた!と思い出したが既に遅い。
往路、はやぶさ内で岩合光昭さんの津軽ネコ本を読んでて、地元の〇〇富士とは違うけど 荒木山も又綺麗だなと思い、高い場所から遠景を撮りたかった。

Posted by ブランフェムト at 19:11│Comments(0)
│翡翠
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